「忙しい」を言い訳にするのはいいけれど、理由にしてはいけない。
つい「忙しい」という言葉は便利で使いがちだが、使っていい時とダメな時があると私は考えている。
何かを断りたくて「忙しい」と言う
言い訳というのは大体が他人に対して使う言葉だ。
何かの誘いや依頼を断る時に、「ごめんなさい。忙しいのでちょっと・・・」という感じだ。
「忙しい」という言葉は比較的便利な言葉で、言われた相手はそれ以上押しようがなく断り文句として使いやすい。だから、断るための言い訳として「忙しい」と伝えることは、悪いことではないと思う。
「忙しい」を理由にしてはいけない
けれど、何かをやりたいと思っているのに「忙しいから」という理由を使ってはいけない。
・部屋を片付けたいと忙しいから片付けられない
・旅行に行きたいけど忙しいから行けない
・転職したいけど忙しいからできない
・資格取得したいけど忙しいから勉強できない
自分で「やりたい」と言っているのに忙しさを理由にやらない人には
・本当に「忙しさ」が理由で出来ないことがあるのだろうか?
・その「忙しさ」はやりたいことのためになんとか調整できないのだろうか?
・その「忙しさ」は一生続き、一生そのやりたいことをやらないつもりなのか?・・・etc
そんなことを私は考えてしまう。
本当に自分のやりたいことなのか?
私が言いたいことは「自分でやりたいと決めたなら無理にでも実行しろよ!」という意味ではない。
「忙しい」を理由にしてしまうくらいのやりたいことなら、やりたいと思わないほうが気持ちがラクなんじゃないか?ということだ。
やりたくないことならやらない方法を考えればいいし、やりたいなら1日1秒からでも始めればいい。
「◯◯したいけど◯◯できない。」という考えは、自分で願望を持って自分で願望を否定している構図で苦しみしかないように思う。
「条件や制限がある中でどうしたら◯◯できるだろう?」と考えたほうがずっと自分の願望を叶えられる。
・部屋を片付けたいと忙しいから片付けられない
→散らかさない工夫を始めてみよう。1日1箇所だけ片付けてみよう。
・旅行に行きたいけど忙しいから行けない
→どういう条件なら行けるか真剣に考えよう。寝ずに弾丸で行こう。
・転職したいけど忙しいからできない
→忙しいのが嫌で転職したいのなら辞めてリスタートした方が将来につながるだろう。
・資格取得したいけど忙しいから勉強できない
→資格取得に必要な勉強時間を調べて受験する年を調整しよう。
こんな感じで「忙しいから無理だ」という理由で諦めるのではなくて、どうだったらできるのだろう?と考えることはとても大事だ。
じゃあ暇だったら本当にやるの?
もうひとつ考えたいのが、「忙しくなかったら本当に実行するのか?」ということ。
忙しさを理由にやっていないことの中には、実はやりたくないと思っていることが含まれている。
アドラー心理学の考え方のひとつに「目的論」というのがある。
原因があるから行動しないのではなく、行動したくないという目的があるから、何かしら理由を持ち出してくるのだ。この概念は特に忙しさを理由に行動しないことにも当てはまると思う。
今日突然24時間自由な時間ができたとして、そのやりたいことを妄想でもやろうとしないなら、きっとそれは忙しいのが理由でやってないんじゃない。
ただやりたくないからやっていないだけなのだ。
「忙しい」を理由にした時に一度立ち止まる
何かを忙しさを理由にやれていないと感じた時、きちんと考えることでムダなストレスを抱えなくて済む。
忙しくてやりたいことが出来ないなら、
・忙しさを軽減する施策を打つ
・他の何かを引き換えにする
・周りの人に協力してもらう
・ちょっとずつでも良いから始める
本当はやりたくないことだと気づいたなら、
そのやりたいことを捨てて、もうそのことは考えない。
そうすれば自分で自分を苦しめるような「◯◯したいけど忙しくて◯◯できない」といった悩みを抱えることはなく生きていけるだろう。