ちゃんと理想を描く。中途半端はダメ。
最近、「○○だったらいいのになぁ」と頭に浮かんだ時は「“超”理想な状態ってそれで合ってる?」と自問するようにしている。
理想の意味は「考えうる最も完全なもの」
それなのに、時として中途半端な理想を描いてしまうことがある。
「理想の仕事はなんですか?」
・今より残業が少なくなったらいいなぁ
・今より給料がもう少し上がればいいかなぁ
→いやいや、やりたいことでガンガン稼げるのが理想でしょ。お金があれば仕事をしないというのが理想でしょ。
「今採用したい理想の人材は?」
・基礎が出来ていれば、育ててなんとかしよう。
・でも完全な初心者はいやだなぁ。。
→いやいや、即戦力になって安く雇える人材が理想でしょ。
理想をきちんと考えることもせず、現実と比較して、勝手に妥協して、現実的な“理想”を描いてしまう。
しかも、妥協した“理想”なわけだから、それに向かって努力するなんてバカバカしくて行動もしない。
手の届く位置にあるものを理想として描く。ちょっと頑張ればいつでも手に入るんだという安心感が持てたり、本当の理想が手に入らなかった時の保険にもなる。
妥協した理想を手に入れて、『自分は幸せな人間だ』と言い聞かせる。
・・・なんて不幸だ。
理想が『非現実的だ』とか『理想が高すぎる』なんて、本当は当たり前。
理想は現実でもないし、現実が理想的な状態であれば理想なんて存在しないのだから。
年を取るほど、自制心が間違った方向に働きやすいんじゃないかと思う。
もちろん、理想を現実にすることはできないかもしれない。行動しなければならないし、その行動が報われないこともある。
けれど、本当の理想に合わせた施策を打たないと、理想に近づけないどころか、現状打破も出来ない。
勝手にブレーキを踏んで、努力する価値のない理想を掲げて生きていくのは、何も望まない人生よりツライ生き方だと思う。
まだまだクセが直らず中途半端な理想を描きがちなので、「“超”理想な状態は?」と自問して、自分の理想に気づけるよう工夫している。
いずれは、深く考えなくても自分の理想を理解し行動し続けられるようにしたい。