後悔しない人付き合いの方が最期涙が出る
最近、祖母が亡くなった。
とても元気な人で突然の死だった。
祖母孝行に関しては5、6年前くらいから力を入れていたので、旅行に食事、カラオケやゲーセンも数えきれないくらい行っていた。
「会える時に会う」
「会いたい時に会う」
「誘いには断らない」
そう、将来後悔しないように沢山関わっていた。
おかげで「全然会えなかった」とか「○○してあげればよかった」なんて後悔はない。
でも、悲しかった。すごく。
人前で感情なんてほぼ出さない私が心配されるほど涙出た。
まだ気を抜くと涙でる。
以前、祖父を亡くした時に「後悔があるからこんなに悲しいんだ」と思っていたけれど、後悔と悲しみは全然別物だということを祖母が亡くなって初めて知った。
むしろ、後悔しない人間付き合いのほうが悲しみは深くて、後悔するくらいの人間関係のほうが悲しんだりしなくて済むんじゃないかとまで思った。
でも、いなくなったことが悲しく感じない人間関係も違う意味で寂しい人生だと思う。
こんな悲しい想いをするくらいなら人と深く関わりたくないなんて気持ちにもなったけど、そんな悲しい気持ちのまま生きてるほうがもったいない気がしてやめた。
あと、その人がいつかいなくなることよりも自分がこの世からいなくなることも考えた。
死んでも会いたい人に会いに行けるかもしれないけれど、少なくとも私に会いに来た人はいない。
たぶん自分がこの世からいなくなるパターンでも会いたい人に会えなくなるんだろうと思う。
たとえ生きてても縁ってのがあって、なかなか会えなくなったりもする。
だから会いたい人に会いたいと思った時に会いに行くようにすることにした。
たとえ、相手が会いたいと思ってなくても「会いたい」って言ってみることも大事。変な意地を張って会わないまま終わるほうがもったいない。
逆に関わりたくない人には徹底的に会わない。会う意味がないから。
後悔しない人間付き合いのほうが最期涙が出る。けれど、そういう生き方を私は選ぶ。