わしぽん

調べたこと・感じたことをシンプルに書いていきます。

怒りの裏側には自分の要望がある

怒りを表にあまり出すことはないけれど、心の中で怒りを感じることはそこそこある。

 

街中でわざとかと思うくらいおもいっきりぶつかられた時や、レジを抜かされてた時。

 

全く知らない人なのに突然暴言を吐いてくる人や、自分が想像していなかったことが起きた時。


そういう怒りの中でも一番厄介なのは身近にいる人に対してのちょっとしたイラっとした気持ちではないだろうか?

 

たとえば、これからやろうと思ってた家事を「いつまでダラダラしてるつもり?早く家事やりなよ」とか。

 

出かける約束をしていたのに「やっぱり出かけたくないからやめとこう」とか。

 

すべてのことに共通するけれど、どの怒りも「自分を尊重してもらえなかったから」発生しているように思う。

 

やっぱり自分のことは大事だから、周りからも大切に扱ってほしいし、扱われるべきだと思ってたりもする。

 

だから、本当なら道を譲ってもらえるはずだし、レジを抜かされることもないし、自分の想定外の言動をする人はこの世に存在しないという感覚になってたりもする。

 

身近な人に対するイラっには、
・なんで私ばかり言われるの?
・自分だって出来てないじゃん
といった、拗ねた感情だったり挙げ足取りにまで発展したりする。

 

それもまた、自分は大切にされるべき存在だからだ。

 

たしかに、自分を大切にしたり大切にしてもらうことはとても大事だと思う。

 

でも、もし周りの人がイレギュラーな言動をすることなく、自分のことを自分が思っていた通りに大切にしてくれていたらどうだろう?

 

きっと、他人を大切にする気持ちがなくなってしまうと思う。なぜなら他人を大切にしてもしなくても自分を大切にしてくれるから。

 

すべてをはんぶんこというわけにはいかず、誰かを大切にするためには時に何かを譲ったりしている。だから譲りっぱなしになってしまう人が出ないように、自分自身も譲る必要があるんだ。

 

大切にされてると感じるためには、譲ってくれている感覚がわからないと無理だ。だから、自分が誰かを大切にしていないと、大切にされてると感じられないじゃないかとふと思った。

 

だから、怒りが発生した時は、自分のことばかり考えて他人を大切にしてないことを気づかせるための神様のお告げみたいなもんなんじゃないだろうか?と今日発生した怒りを鎮めてみることにした。

 

周りの人を大切にしていこう。