わしぽん

調べたこと・感じたことをシンプルに書いていきます。

「死にたい」と思った時に私がすること

周りの人に「死にたいと思ったことある?」なんて聞いたことはない。

だから、「死にたい」と考えたことがある人が、世の中にどれくらいいるかわからない。
 
けれど、少なくとも私は何度もそう思ったことがあるし、これから先もそう考える時はあるだろう。
 
死にたいと思ったことが何度もありながら生きている私としては、死にたいと考えてしまうこと自体は悪いことではないと考えている。
 
心がそう感じたのに、「そんなことを考えるなんて、生きたくても生きられない人がいるのに!なんて贅沢言ってるんだ!」と誰かが言いそうな批判を、自分で自分に浴びせる必要なんてない。
 
「死にたい」。そう思った時に、どう気持ちに整理をつけるか。
私がやっている方法を紹介する。
 

■自分で自分に寄り添い、心の声を聴く

心で感じた声を無視してしまうより、きちんと向き合ったほうが自分を癒せる。
死にたいと思った時に、自分が自分に寄り添って「そっか・・・。どうしてそう思うの?」と対話をする。
何に対して絶望してしまったのか、何のために死のうとしてるのか、自分の中に浮かんだ感覚を否定しないで、どうして死にたいと考えたのか感じてることを自分で理解する。
 
その作業で「なんだ!そんなことで死のうとしてたのか、私は!」と悩んでた自分がバカバカしくなって復活する場合もある。
 

■欲を満たすことをやめる

もちろん、自分との対話で復活しないこともある。むしろ「そっか、そりゃ死にたくなっちゃうよ」と相談役側の自分も折れてしまうことのほうが多い。
 
そんな時にまず行うのが欲を満たさないようにする。食べること・寝ること・買うこと・遊ぶことをやめる。
 
特に私が行うのが、食べるのをやめること。食べるのが大好きなので、「それを止めてでも死のうとするのか?」と自分自身に問うためだ。
 
「欲」というのは生きることに直結していると思っていて、自分が本当に心の底から死にたいと考えているなら、すべての欲を捨てても平気でいられるはずだと考えている。
 
だから、自分が「○○したい!」と思うまで(つまり「生きたい!」と心が思うまで)、欲を捨てる。
 
結局生きたいと思う気持ちが勝つ。勝つというよりは、死にたいという感情が薄れて、生きたいという感情が復活していく感じだ。
 

■身の回りを整理する

自分がいなくなった時、今自分のもっているモノ達は、持ち主不在となり行き場を失う。
自分が勝手にいなくなるつもりなのだから、残された人達に片付けさせるなんて良くないと思い、生前整理に近い整理整頓を行う。
 
持ち物の整理は、思い出と触れる作業だ。「こんなことあったなぁ」と思い出しながら、自分がいなくなった後の世界のためにエネルギーを使う。
 
ネガティブなことを思い出させる物がたくさんあっても、整理を進めてると心があったかくなるようなことを思い出させてくれる物が出てくる。
 
そこで死にたいという気持ちがふわーっと溶けてなくなっていくのだ。
 

■お世話になった人に会いに行く

それでも、まだ「死にたい」という気持ちが無くならず、苦しい時もある。そうしたら、もう死ぬ覚悟を決めて、お世話になった人に会いに行く。
 
会った時に相手に心配をかけるのはよくないから、ただ会いたくなったとだけ言って、たわいもない話をして帰ってくる。
 
会いたい人だけじゃなくて、お世話になった人達を思い浮かべた時に浮かんだすべての人達に会いに行く。
 
私の場合は、お世話になった人が多すぎて、結局途中で挫折する。それと同時に、自分を支えてくれた人達の気持ちに触れ、気持ちが落ち着いていく。
 

■「死んでもいいなら、できそうなこと」を想像してみる

死んでしまえば、その後の世界なんて関係ないと思えたら、残った周りの人達に降りかかる迷惑も関係ない。
 
将来のために貯めていたお金も、将来が無くなるから使い込める。むしろ借金をしてやりたい放題だって出来る。周りの目も気にならない。このあと消える存在なら、誰にどう思われようと関係ないからだ。
 
この先ずっと人生が続くと思っている時に頭に浮かぶことと、もう死んでもいいやと思っている時に頭に浮かぶことは全然違う。
 
そんな自由な状態なら、自分は何をしたいか?環境や倫理、世間体でかかってしまっていた制限がない状態で、自問自答する。
・時間がなくてできなかったこと
・自分らしくないからとやってこなかったことetc
そうすると、私は、本当はやってみたかったこと・経験したいことが出てきて、それが終わるまでは生きようという気持ちになる。
 

■自分の大切な人が死んでしまった未来を想像してみる

自分の死だけでなく、他人の死についても考えてみる。もし、大切な人が死んでしまったら・・・と。
 
どんな死因でも悲しくなり、「死ぬ前にもっと一緒にいればよかった」とか「あの時のこときちんと謝っておけばよかった」と後悔の気持ちが出てくる。
 
死んでしまった直後のショック、存在がないことへの喪失感や違和感。そういった気持ちを乗り越えていく必要がある。
 
そして何年か経ち、嬉しい報告や相談をしたい時に、その人がこの世にいないという切ない気持ち。
 
人が亡くなるということは、その人がいなかった世界にリセットさせる訳ではなく、残された人達に何か影響を与え続けるということなんだと改めて考えさせられる。
 
そうなると自分が死んだ時に、自分の大切な人達にこんな思いをさせるなら、自分が1番長生きしなければと気持ちが切り替わる。
 

〜死にたいと思うことも、生きたいという気持ちの表れ〜

「死にたい」という気持ちは、「○○したい」という欲の一種だ。欲があるということは、生きたい証拠なんだと思う。
 
その証拠に、私は何度も死にたいと考えているのに、生きている。
上に書いたような死ぬ準備をしていると、まだまだ生きたいんだという本当の声が自分から聞こえるようになる。
 
「死ぬ勇気がなかっただけじゃないの?」と思われてしまうかもしれないけれど、死のうとしたところで寿命でない限り死にきれないことを私は知ってる。
 
世間の人がどれくらい私のように「死にたい」という心の声が発生しているかわからない。
 
私と同じようにそう考えてしまって、ひとりで悩んでる人のために、『私はそういう気持ちとこうやって向き合ってるよ』と知ってもらいたくて書いてみた。
 
他人に対して「生きてて欲しい」という思いはワガママでしかないのかもしれないけれど、やっぱり人が亡くなるのは悲しいから生きてて欲しい。