わしぽん

調べたこと・感じたことをシンプルに書いていきます。

調子に乗ったら最後だと思う。

良い人生を送るために

「調子に乗るな!波に乗れ!」

という気持ちを持つようにしている。

 

【調子に乗る】と【波に乗る】の違い

私の中で、【調子に乗る】と【波に乗る】にはハッキリとした定義がある。

調子に乗る→「自分はすごい人間なんだ」と過大評価すること。

波に乗る→不安な気持ちを捨てて目の前に来たチャンスを取りに行くこと。

良い出来事が起きたり、起きそうな時に、この調子に乗る・波に乗る問題が発生する。

 

波ならどんどん乗ったほうがいい

波に乗るというのは、不意に自分にとってチャンスが舞い込んできて、そのチャンスをつかむかどうか悩んでいる時に、「ええい!波に乗るぞ」という意味合いで使っている。

今まで色んなチャンスをつかんできたと思うが、そういう類のチャンスはいつも心の準備ができていない時にやってくる。

「私でできるのだろうか?」

「このチャンスを掴んだら今持っているものを捨てなければいけない」

「魅力的だけど万が一を考えるとリスクが高い」

「なんでこのタイミングにこんな良い話が来るんだ!」

「少し悩む時間をくれ!」

みたいな心の声が大量に押し寄せてくる中、これは波が来ていると感じたら、もう悪あがきをせずにその波に乗るのだ。

波に乗らなかったことが無いから、波に乗らない後悔が存在するかわからない。

けれど言えることは、波に乗って後悔したことがないということ。

コレだという自分の直感を信じるのは大事だ。

調子に乗ると恐ろしいことが起きる

調子に乗っている時は、「自分はすごい人間だ」と思い込んでいる。

“すごい人間”という発想が生まれるのは他人との比較からだろう。

 

そうなると、自分以外の人達は“すごくない人達”という位置づけになり、

“すごい自分“すごくない人達”という恐ろしい構図が生まれる。

 

“すごくない人達”を尊重する必要もないから見下す対象になる。

“すごくない人達”の中に“すごい自分が存在している訳だから努力することもなくなる。

 

何かしらの成果によって調子に乗っているわけだけど、

その成果を外して調子に乗っている人を見たら

他人を見下していて、自分は何の努力もしない人

・・・こわい。そんな人関わりたくない。

 

その成果が評価されているうちは周りも大目に見てくれるかもしれない。

でも一生評価される成果なんてほとんど無いだろう。

一時の成果で調子に乗ったら最後だと私は思う。

 

調子に乗らないために

少しでも「調子乗ってるかもしれない」と感じた時は

調子に乗らないための心得10で、日本人はもっと幸せになる!|旧青い鳥ブログ 〜過去記事倉庫〜

↑を読むようにしている。

世の中の失敗の原因の半分以上が、要するに「テヘッ、調子に乗っちゃった☆」ってことに由来している気がするんだよね。

「調子に乗る」ってことは、自らリセットボタンを押してしまうに等しい行為。

ものすごく納得。

逆に考えれば、調子に乗らなければ失敗の半分以上を防げるということだ。

 

基本的に調子に乗っている時というのは無自覚なことが多い。

日頃から調子には絶対乗らないぞと決め込んでいても、知らない間に調子に乗ってしまっていることもある。

だから定期的に「調子に乗った発言・行動してないかな」と振り返ってみたり、「あいつ調子乗ってんなー」と感じる人と出会ったら自分は大丈夫か考えてみたりする。

 

調子に乗らないようにしていると、いい波は必ずやってくる。

その波には物怖じせずに乗る。

「調子に乗るな!波に乗れ!」