わしぽん

調べたこと・感じたことをシンプルに書いていきます。

「あの人に比べたら私はまだマシだ」と言い聞かせる人達のナゾ。

以前 「周りも頑張ってるから自分も頑張る」は間違い。

という記事を書いた。

 

「周りも頑張ってるんだからお前も頑張れよ」風な説教をする人は、自分自身にもそういう励ましを行ってることが多い。

 

似たような例として、不幸な人生を送ったと思われる人達を引き合いに出し、自分と比較する。

 

自分の置かれている環境がいかに幸せなのかを、他人の人生と比較して言い聞かせるのだ。

 

ちょうど街中で耳にしたのが、

「戦時中の若者達は、自分の意思と関係なく戦争に駆り出されて死んでいったんだ。

それと今を比べたら幸せじゃないか。俺はそう考えるようにしている。」

とのこと。

 

たしかに戦争が起きたことや若い人達が戦い、命を落としたことは事実だ。

でも、亡くなっていった人達が不幸だったかなんて、他人が勝手に決めつけられるようなことではない。

 

命を落とすことが「不幸」という発想なら、生きていれば「幸せ」という考えで十分なわけで、なぜそこに戦争を持ってくるんだろう?と思った。

 

たしかに、「不遇」な環境にいる人達は実在する。でもだからといって「不幸な人生を送った」とは限らない。

 

それなのにも関わらず、自分の人生と比較して「あの人に比べたら私はまだマシだ」なんていう発想は、比較されている相手にも失礼だ。

 

今私達が生きているのは、戦争という不遇な時代に生まれた人達が、環境のせいにせず、必死に生きてくれたおかげだ。大体の人が、そういう逆境を生き抜いてくれた祖父母のおかげでうまれてきたはず。

生きている時代や環境のみで比較したら、今のほうが自分の意思・夢に向かって生きやすい。(それすらただの思い込みかもしれない。)

 

自分の置かれている環境が自分の力で変えられることだと認識して、生きたい人生を歩むのは良いと思う。

 

ただ、誰かの人生を引っ張り出して、自分の現状を変えようとせず納得するのは違う。比較というのは、現状に甘んじるためにすることではない。

 

「あの人達よりマシだ」だと比較しようとした人達を勝手に不幸だと決めつけるのではなくて、「不遇を言い訳にせず努力した人達」に意識をフォーカスする。

 

「どんな環境でも努力をしよう」と気合いを入れるために他人を引き合いに出した方が、もっと自分のイメージに近い人生を送れると思う。