わしぽん

調べたこと・感じたことをシンプルに書いていきます。

やる気が出ない自分には一体何が足りないのだろう。

今月はとにかくやる気が出ない。

やる気ってなんだっけ?と忘れてしまうくらい、とにかくやる気が出ない。

 

やる気が出る方法を実践してもやる気が出ない

『やる気は出てくるものじゃない、行動から生まれてくるのだ』といったやる気を出す方法を紹介するコラムは沢山存在してる。

でも、それを読んでもやる気が出てこない。

 

やる気が出ないという気持ちのクセに、やる気を出す方法をググる力は残っている。

そのググる力をやる気に変えられたらどんなにいいことか。

 

やらなきゃいけない何かが心にひっかかる

やる気が出ないことに困っているという状況は、

「やらなければいけないのにやれていない何かがある」ということだ。

やらなくてもいいことならば、やる気が出ないことを悩む必要すらない。

なぜなら、やらなくてもいいことはやらなくても何も起こらないからだ。

 

「やる気が出ない」と悩む行為は、その何かをやらないと自分にとってマイナスな事態が発生すると知っているということだ。

やる気が出ないという理由で先延ばしにしても、いつかは必ずやらなければならず先延ばしにした分のツケが回ってくることもあるだろう。

 

やる気が出るのは明らかにプラスがあるとわかった時

“やる気”という言葉をポジティブに使っている時はいつだろう?と考えてみる。

「やる気でた!」と思うとき・・・。

本当はやる気がなかったけど、その何かやるとご褒美がもらえるといったシチュエーションが浮かんだ。

本来であればその何かをやり終えるということだけしか得られるものはなかったはずなのに、プラスで何かがもらえるようなイメージだ。

「この仕事を終わらせたら飲みに行こう」とか。

そう考えると、やる気が出ないという気分が発生するときに、心にひっかかっているやらなければいけない何かの正体は、その行動をしても、行動した分の報酬を得られないと思っている時ではないだろうか?

 

やっても意味ないならやる気なんて出したくない

少し話はそれるが、私は学生時代、夏休みの宿題をやらなかったことが多々ある。

理由は、宿題の提出は成績に反映されないと言われたからだ。

もちろん、そんなことをする人は私くらいで、先生にも怒られたりしたが、「成績に関係ないならやらない。提出しない。提出する理由がない」と自分を曲げなかった。

(学校の先生じゃないけど、こんな生徒いたらいやだ。) 

 

もし、「宿題の提出が成績に影響する」と言われていたらどうだっただろうか。

おそらく、やる気どうこう考えずに普通に提出していたと思う。

 

けれど「成績に5%程度反映される」という話だったら、宿題を提出するかしないか私だったら悩んで、“やる気”を持ちだしてくると思う。

5%くらいならいいやと投げ出すこともできるし、少しでも影響するなら出そうという気分にもなれる。

 

どっちにでも転べる「やる気が出ない」時期

そう考えると、「やる気が出ない」と悩めるのは、その時点では、やってもやらなくてもどっちでもいい(どっちでも自分に何も影響がない)ということだ。

日が過ぎていくにつれて、やらないという選択が自分のマイナスになると理解し始めた頃、やっと重い腰を上げて行動するのだろう。

「どうしてやる気が出ないんだろう」と考え続けても、やる気が出るわけがない。なぜならやる気を出そうが出さまいがどっちでもいい時期だからだ。

 

「やる気が出ない」と言ってる時間のほうがムダ

やる気が出ないという言い訳をしてやらないでいることがある時、いちばん無駄になってしまっているのは、「やる気が出ない」と考えている時間かもしれない。

心にひっかかってしまっていることは、なかなか頭から離れることがなく、違うことをしていても「あーあれやらなきゃ」と嫌な気持ちにさせられる。

それを「やる気が出ない」と理由をつけて先延ばしし続けるのは、その理由をつけるまでの思考を巡らす時間をムダに使ってしまっている。

 

・・・さて、やる気が出ないとか言ってないでさっさと片付けよう。